2015年04月01日
送迎車No.3
こんばんは。ようこそ宮ノ森遊園へ。
今日のブログタイトルを読んでピンときた方は、送迎バスドライバーの活躍を描いた小説的な内容ではないかと期待したのではないでしょうか。
残念ながら違いました。送迎バス3号車の話です。
ちなみに…本日のブログタイトル「送迎車No.3」は松岡圭祐氏の小説「霊柩車No.4」に掛けてみました。「霊柩車No.4」は、ざっくり言うと、鋭い観察眼を持った霊柩車ドライバーの活躍を描いた小説です。興味がある方は是非ご一読ください。
さて、本題に戻りまして、送迎3号車の話です。
私がこれからお話しする送迎3号車は、2014年3月31日まで中条自動車学校に在籍していた日産の29人乗りマイクロバスで、硬めの足回りと、アクセルのレスポンスの良さが私好みなバスでした。丸みが少ない外観や、大型路線バスのスペースランナーと共通のテールランプも魅力でした。
中条自動車学校職員間では“青バス”と呼ばれていました。バスを利用した事がある方には「青白のでっかいバス」でお馴染みではないでしょうか。

1年前の思い出話ですが、お付き合いください。
春。そう、別れ・旅立ちの季節。
それは、私が送迎当番だった2014年3月30日の事。送迎3号車と仕事をするのもこの日が最後でした。やさしい雨が降る日だったのを覚えています。
別れを惜しみ、とにかく送迎3号車を多用しました。雨が降る中の送迎でしたが、撥水加工を施したサイドガラスとミラーに付着する雨は留まることが出来ず、踊るように滑っていきます。ガラスに撥水加工を施すと、雨が楽しくなります。
今思えば、送迎3号車の窓やミラーに撥水加工を施すのも、楽しみの一つでした。
思い出に浸る間もなく時は流れて、18時を迎えました。いよいよ送迎3号車と仕事をするのもこれが最後です。
18時10分。教習終了時刻を告げる放送が鳴り、玄関に教習生が集まり始めます。
乗車バス案内で「中条方面の方は青白のでっかいバスへどうぞ」と言うのもこれが最後かと思うと急に寂しさがこみ上げてきました。
白い手袋を嵌めると、送迎3号車の運転席へ乗り込みます。送り先確認を済ませ、最後の運行が始まりました。
トラブルもなく順調に運行していきます。雨に濡れた道路には街灯の灯りが鈍く反射し、走り慣れた本町の通り、駅前の通りはいつもと変わらない佇まいで送迎3号車を見送っていました。
最後の一人を降ろし、あとは自動車学校へ帰るだけとなりました。
駒込町あたりから、涙が溢れてきました。送迎3号車との思い出が涙の堰を崩壊させたようです。
街の灯りを滲ませているのは、春の雨か、それとも溢れる涙なのかは定かではありません。
頬を伝う涙を手袋のまま手の甲で拭うと同時に、フロントガラスの雨粒をワイパーが無機質に払いました。
名残雪とはいきませんでしたが、代わりに雨と私の涙を最後の運行に添える事となりました。
最後の送迎が終わり、送迎3号車に施錠した時、「ありがとう」と「さよなら」を告げました。
送迎3号車が走った距離はメーター内に記録・表示されていますが、乗せた人数はどこにも記録されません。誰を乗せ、どこへ走ったのか、それは送迎3号車のハンドルを握り、走った事のあるドライバーそれぞれの記憶の中にあります。

別れ・旅立ちの春、4月1日の雨に去年の別れを思い出した今日でした。
今日のブログタイトルを読んでピンときた方は、送迎バスドライバーの活躍を描いた小説的な内容ではないかと期待したのではないでしょうか。
残念ながら違いました。送迎バス3号車の話です。
ちなみに…本日のブログタイトル「送迎車No.3」は松岡圭祐氏の小説「霊柩車No.4」に掛けてみました。「霊柩車No.4」は、ざっくり言うと、鋭い観察眼を持った霊柩車ドライバーの活躍を描いた小説です。興味がある方は是非ご一読ください。
さて、本題に戻りまして、送迎3号車の話です。
私がこれからお話しする送迎3号車は、2014年3月31日まで中条自動車学校に在籍していた日産の29人乗りマイクロバスで、硬めの足回りと、アクセルのレスポンスの良さが私好みなバスでした。丸みが少ない外観や、大型路線バスのスペースランナーと共通のテールランプも魅力でした。
中条自動車学校職員間では“青バス”と呼ばれていました。バスを利用した事がある方には「青白のでっかいバス」でお馴染みではないでしょうか。
1年前の思い出話ですが、お付き合いください。
春。そう、別れ・旅立ちの季節。
それは、私が送迎当番だった2014年3月30日の事。送迎3号車と仕事をするのもこの日が最後でした。やさしい雨が降る日だったのを覚えています。
別れを惜しみ、とにかく送迎3号車を多用しました。雨が降る中の送迎でしたが、撥水加工を施したサイドガラスとミラーに付着する雨は留まることが出来ず、踊るように滑っていきます。ガラスに撥水加工を施すと、雨が楽しくなります。
今思えば、送迎3号車の窓やミラーに撥水加工を施すのも、楽しみの一つでした。
思い出に浸る間もなく時は流れて、18時を迎えました。いよいよ送迎3号車と仕事をするのもこれが最後です。
18時10分。教習終了時刻を告げる放送が鳴り、玄関に教習生が集まり始めます。
乗車バス案内で「中条方面の方は青白のでっかいバスへどうぞ」と言うのもこれが最後かと思うと急に寂しさがこみ上げてきました。
白い手袋を嵌めると、送迎3号車の運転席へ乗り込みます。送り先確認を済ませ、最後の運行が始まりました。
トラブルもなく順調に運行していきます。雨に濡れた道路には街灯の灯りが鈍く反射し、走り慣れた本町の通り、駅前の通りはいつもと変わらない佇まいで送迎3号車を見送っていました。
最後の一人を降ろし、あとは自動車学校へ帰るだけとなりました。
駒込町あたりから、涙が溢れてきました。送迎3号車との思い出が涙の堰を崩壊させたようです。
街の灯りを滲ませているのは、春の雨か、それとも溢れる涙なのかは定かではありません。
頬を伝う涙を手袋のまま手の甲で拭うと同時に、フロントガラスの雨粒をワイパーが無機質に払いました。
名残雪とはいきませんでしたが、代わりに雨と私の涙を最後の運行に添える事となりました。
最後の送迎が終わり、送迎3号車に施錠した時、「ありがとう」と「さよなら」を告げました。
送迎3号車が走った距離はメーター内に記録・表示されていますが、乗せた人数はどこにも記録されません。誰を乗せ、どこへ走ったのか、それは送迎3号車のハンドルを握り、走った事のあるドライバーそれぞれの記憶の中にあります。
別れ・旅立ちの春、4月1日の雨に去年の別れを思い出した今日でした。