2015年04月29日
ウェイ・パァー
こんばんは。ようこそ宮ノ森遊園へ。
今日は先週も登場した調味料「ウェイ・パァー」についてです。

試しにお弁当用のチャーハンをウェイ・パァーを用いて作ってみました。

久しぶりにチャーハンを作ったので、作り方を間違えました。ご飯がベタベタです。
しかし、ウェイ・パァーのお蔭で味はグッドでした。
なかなかおススメな調味料です。
更に、万能調味料のウェイ・パァーはスープも作れちゃいます。
わかめスープを作ってみました。

使ったのは、わかめ、ゴマ、もやし、ごま油、あとはウェイ・パァーのみです。
激ウマです。簡単です。おすすめです。
ウェイ・パァーはさておき、今年も中条自動車学校のバイク愛好会(そんな名称だったかな?)で1泊のツーリングに行ってきました。
詳細は後日アップします。お楽しみに!
今日は先週も登場した調味料「ウェイ・パァー」についてです。
試しにお弁当用のチャーハンをウェイ・パァーを用いて作ってみました。
久しぶりにチャーハンを作ったので、作り方を間違えました。ご飯がベタベタです。
しかし、ウェイ・パァーのお蔭で味はグッドでした。
なかなかおススメな調味料です。
更に、万能調味料のウェイ・パァーはスープも作れちゃいます。
わかめスープを作ってみました。

使ったのは、わかめ、ゴマ、もやし、ごま油、あとはウェイ・パァーのみです。
激ウマです。簡単です。おすすめです。
ウェイ・パァーはさておき、今年も中条自動車学校のバイク愛好会(そんな名称だったかな?)で1泊のツーリングに行ってきました。
詳細は後日アップします。お楽しみに!
2015年04月22日
悪い癖
こんばんは。夕食後にバイクに乗ってきました。
まだ虫も少なく快適なライディングでした。
さて、今日は休みだったのですが、悪い癖が出てしまいました。

1、しばらく放置してあった折り畳み自転車のリフレッシュ作戦をスタートしました。
錆で赤茶に染まったハンドル、滑らかに動かないチェーン・・・再び颯爽と走れるようにできるだけの事をしてみます。
進展あれば報告します。報告がないときは・・・察してください。

2、バイク『KX85』の外装リニューアル作戦をスタートしました。
写真は昨年から乗っているバイク『KX85』の外装パーツです。とりあえず外装リニューアルの準備として、外装を外しました。
この外装を塗装したりするつもりですが・・・進展あれば報告します。

3、ウェイパァー。
この調味料を使うとチャーハンが美味くなるらしいと聞いて購入してきました。近いうちにチャーハンを作ってみます。
ウェイパァーを使って美味しいチャーハンが作れたら報告します。・・・報告がないときは・・・察してください。

4、今日の夕食です。
三度目の正直でまともなパスタが作れました。
今回はナスとシメジのミートソースです。
以下、パスタ失敗の系譜です。
一度目。“海鮮スープパスタ”・・・記念すべき初代失敗パスタです。アサリ、イカ、エビなどを贅沢に使った塩ベースのスープパスタでした。
贅沢に使った海の幸は調理ミスにより生臭く、パスタは茹ですぎ、スープは塩辛く、まるで海水浴中に口に入った海水のようなパスタでした。
二度目。“鮭のクリームパスタ”・・・リベンジを誓った二度目のパスタです。鮭が手に入ったので、クリームパスタを作ることにしました。
インターネットで調べた甲斐あって、途中までは良い雰囲気だったのに・・・「とろみが足りない」とか言って小麦粉を入れ過ぎた為に、クリーミーを通り過ぎて塊になってしまいました。言わば鮭団子。
当然、団子ではパスタと絡む事もなく・・・一度目よりは美味しかったことが唯一救いと言えるパスタでした。
そして今日、三度目。余計な事をせず、普通のパスタが完成しました。
さて、今日だけでも色々と始めてしまいました。始める→こだわる→終わらない の悪循環が始まりました。
夏の繁忙期までに終わるでしょうか・・・もし進展あれば・・・ ・・・ ・・・察してください。
まだ虫も少なく快適なライディングでした。
さて、今日は休みだったのですが、悪い癖が出てしまいました。
1、しばらく放置してあった折り畳み自転車のリフレッシュ作戦をスタートしました。
錆で赤茶に染まったハンドル、滑らかに動かないチェーン・・・再び颯爽と走れるようにできるだけの事をしてみます。
進展あれば報告します。報告がないときは・・・察してください。
2、バイク『KX85』の外装リニューアル作戦をスタートしました。
写真は昨年から乗っているバイク『KX85』の外装パーツです。とりあえず外装リニューアルの準備として、外装を外しました。
この外装を塗装したりするつもりですが・・・進展あれば報告します。
3、ウェイパァー。
この調味料を使うとチャーハンが美味くなるらしいと聞いて購入してきました。近いうちにチャーハンを作ってみます。
ウェイパァーを使って美味しいチャーハンが作れたら報告します。・・・報告がないときは・・・察してください。
4、今日の夕食です。
三度目の正直でまともなパスタが作れました。
今回はナスとシメジのミートソースです。
以下、パスタ失敗の系譜です。
一度目。“海鮮スープパスタ”・・・記念すべき初代失敗パスタです。アサリ、イカ、エビなどを贅沢に使った塩ベースのスープパスタでした。
贅沢に使った海の幸は調理ミスにより生臭く、パスタは茹ですぎ、スープは塩辛く、まるで海水浴中に口に入った海水のようなパスタでした。
二度目。“鮭のクリームパスタ”・・・リベンジを誓った二度目のパスタです。鮭が手に入ったので、クリームパスタを作ることにしました。
インターネットで調べた甲斐あって、途中までは良い雰囲気だったのに・・・「とろみが足りない」とか言って小麦粉を入れ過ぎた為に、クリーミーを通り過ぎて塊になってしまいました。言わば鮭団子。
当然、団子ではパスタと絡む事もなく・・・一度目よりは美味しかったことが唯一救いと言えるパスタでした。
そして今日、三度目。余計な事をせず、普通のパスタが完成しました。
さて、今日だけでも色々と始めてしまいました。始める→こだわる→終わらない の悪循環が始まりました。
夏の繁忙期までに終わるでしょうか・・・もし進展あれば・・・ ・・・ ・・・察してください。
2015年04月15日
開花前線
こんばんは。ようこそ宮ノ森遊園へ。
中条自動車学校のある胎内市は桜の見頃を少し過ぎ始めました。雨の中散り始めた花びらが道路を桜色に染め始めました。
見頃の桜を見たければ、これから先は開花前線を追って北上する必要がありそうです。
花見といえば、夜桜が好きなのですが、今年は夜桜を見に行きませんでした。
今年は昼間に新発田市の加治川治水記念公園に花見に行きました。

晴天だった4月12日。まずは新発田城へ向かいました。日曜日と言うこともあり、新発田城周辺は大渋滞でした。新発田城での花見を諦め、加治川治水記念公園へ向かいました。
しかし、穴場ともいえる加治川治水記念公園も人で溢れていました。恐るべし、日曜日。
その後、昼食を食べに月岡わくわくファームへ向かいました。
月岡わくわくファームも大混雑でした。そうだ、日曜日。
少し待って、月岡わくわくファーム内にある天手古舞という蕎麦屋にてミニ海鮮かき揚げせいろを食べました。
美味でした。なかなかおススメです。
無事に昼食も終わり、最後は福島潟の横を走り、咲き始めたばかりの菜の花畑を眺めて帰りました。
桜の季節が終われば、次は菜の花、チューリップの季節で、それが終われば紫陽花、菖蒲と・・・これから先は色彩が溢れる良い季節ですね。出かけるのが楽しみになりますね。
さて、どの花の開花前線を追いかけましょうか?
中条自動車学校のある胎内市は桜の見頃を少し過ぎ始めました。雨の中散り始めた花びらが道路を桜色に染め始めました。
見頃の桜を見たければ、これから先は開花前線を追って北上する必要がありそうです。
花見といえば、夜桜が好きなのですが、今年は夜桜を見に行きませんでした。
今年は昼間に新発田市の加治川治水記念公園に花見に行きました。
晴天だった4月12日。まずは新発田城へ向かいました。日曜日と言うこともあり、新発田城周辺は大渋滞でした。新発田城での花見を諦め、加治川治水記念公園へ向かいました。
しかし、穴場ともいえる加治川治水記念公園も人で溢れていました。恐るべし、日曜日。
その後、昼食を食べに月岡わくわくファームへ向かいました。
月岡わくわくファームも大混雑でした。そうだ、日曜日。
少し待って、月岡わくわくファーム内にある天手古舞という蕎麦屋にてミニ海鮮かき揚げせいろを食べました。
美味でした。なかなかおススメです。
無事に昼食も終わり、最後は福島潟の横を走り、咲き始めたばかりの菜の花畑を眺めて帰りました。
桜の季節が終われば、次は菜の花、チューリップの季節で、それが終われば紫陽花、菖蒲と・・・これから先は色彩が溢れる良い季節ですね。出かけるのが楽しみになりますね。
さて、どの花の開花前線を追いかけましょうか?
2015年04月08日
春の夜に
こんばんは。胎内市は星がキレイに見える夜です。いかがお過ごしですか?
ようこそ、宮ノ森遊園へ。
桜が咲き始めましたね。いよいよ春らしくなってきました。この季節になると毎年思い出すことがあります。
原動機付自転車、通称・原付についてです。
原付免許。それは最初に手にした自由への招待券でした。そして、原付バイクは、好きな時に好きな場所へ行ける翼でした。
原付免許取得から始まる新しい世界に戸惑いながらも、大人への第一歩を踏み出し、誰もが背伸びをしたがっていたような気がします。
見栄を張り、得意満面に胡散臭い武勇伝を各々が語っていましたが、7馬力そこそこのエンジンが若者に多くの夢を見させ、ヒーローになれたかのような錯覚を与えたのは紛れもない事実でした。
今から話すのは、武勇伝でもなんでもない、退屈な思い出話。
私と青春を駆け抜けた、1台の原付バイクの話。

2003年(平成15年)4月2日。私は念願の原付免許を手にしました。細かい事は忘れてしまいましたが、バイトを始めたばかりだったので、スケジュールを調整しつつ苦労して免許を取得した気がします。
免許は無事に取得しましたが、バイクはなく、とにかく焦っていたような気がします。そんなある日、ついに憧れの原付が納車されました。詳しい経緯は記憶の彼方ですが、確か夜だった気がします。学校から帰るとバイクがありました。これが私とTZRとの出会いでした。不慣れなギア付の原付。とても重たく感じました。
とても大きく、輝いて見えたTZR。しかし、船出は順風満帆とはいきませんでした。
バッテリーの調子が悪く、セルが回りません。“エンジンをかけたい。バイクに乗りたい。”必死でした。友人に電話をし、エンジンの押しがけの方法を聞きました。
数分後、なんとかエンジンをかけることができました。
せっかく掛かったエンジン。エンストしないように必死でした。一つ一つの動作が慎重で、丁寧でした。初めてのバイク。初めてのエンジン付きの乗り物。しかし、燃料はガス欠寸前だったため、感動に浸る余裕もなく、早速、燃料を補給しにガソリンスタンドを目指しました。初めて自分でガソリンの注文をしました。“レギュラーを現金で満タン”この瞬間、大人になれた気がしました。
給油を終えて、少し、ずっしりとしたTZRに乗り、スタンドを背に走り出しました。
楽しかった。とにかく楽しかった。クラッチ操作が、ギアチェンジが、スロットルを回すのが、ブレーキが…。春の、少し眠たげな月の下、時間を忘れ、走り続けました。
どれくらい走り続けたでしょうか。休憩を兼ねて駐車場に入りました。一息ついて、駐車場から出ようと出口に向かった時・・・縁石の脇に砂が溜まっていました。気づくのが遅れたため、明らかなオーバースピード。すでに倒し始めてしまった車体。滑り出したフロントタイヤ。
咄嗟に、強くブレーキレバーを握りました。・・・その瞬間、転倒しました。
自転車で転倒するのとは明らかに違う、強い衝撃。右に倒れたので、右足の膝に痛みを覚えました。けれど、そんなことより、心配だったのは愛車でした。すぐに起き上がり、TZRを起こしました。重いなんて思いませんでした。一度キーを“OFF”にしてから再び“ON”にし、セルを回しました。
少し不機嫌そうにエンジンが始動しました。
ホッとしました。
再び走り出すと、エンジンは先程と変わらずに快調でした。しかし、バイクに問題がないことを確信すると、不意に足が痛くなってきました。
家に向かうことにしました。
自分の部屋に入り、ズボンを脱いで脚を見ました。血が・・・、血が出ていました。予想よりも酷い傷口に、バイクは自転車とは違うということが、身にしみて分かりました。

幾つもの季節を共に過ごし、数え切れない思い出を作ったTZR。今手元にあるのは焼き付いたピストンとプラグ、数枚の写真のみです。
桜の咲く季節に出会い、桜の咲く季節にTZRは私の手から離れました。TZRとの別れ、それは2006年4月8日の事でした。今から9年前の今日、TZRは大きく、輝いて見えました。そう、初めて会ったあの日と同じように。
ようこそ、宮ノ森遊園へ。
桜が咲き始めましたね。いよいよ春らしくなってきました。この季節になると毎年思い出すことがあります。
原動機付自転車、通称・原付についてです。
原付免許。それは最初に手にした自由への招待券でした。そして、原付バイクは、好きな時に好きな場所へ行ける翼でした。
原付免許取得から始まる新しい世界に戸惑いながらも、大人への第一歩を踏み出し、誰もが背伸びをしたがっていたような気がします。
見栄を張り、得意満面に胡散臭い武勇伝を各々が語っていましたが、7馬力そこそこのエンジンが若者に多くの夢を見させ、ヒーローになれたかのような錯覚を与えたのは紛れもない事実でした。
今から話すのは、武勇伝でもなんでもない、退屈な思い出話。
私と青春を駆け抜けた、1台の原付バイクの話。
2003年(平成15年)4月2日。私は念願の原付免許を手にしました。細かい事は忘れてしまいましたが、バイトを始めたばかりだったので、スケジュールを調整しつつ苦労して免許を取得した気がします。
免許は無事に取得しましたが、バイクはなく、とにかく焦っていたような気がします。そんなある日、ついに憧れの原付が納車されました。詳しい経緯は記憶の彼方ですが、確か夜だった気がします。学校から帰るとバイクがありました。これが私とTZRとの出会いでした。不慣れなギア付の原付。とても重たく感じました。
とても大きく、輝いて見えたTZR。しかし、船出は順風満帆とはいきませんでした。
バッテリーの調子が悪く、セルが回りません。“エンジンをかけたい。バイクに乗りたい。”必死でした。友人に電話をし、エンジンの押しがけの方法を聞きました。
数分後、なんとかエンジンをかけることができました。
せっかく掛かったエンジン。エンストしないように必死でした。一つ一つの動作が慎重で、丁寧でした。初めてのバイク。初めてのエンジン付きの乗り物。しかし、燃料はガス欠寸前だったため、感動に浸る余裕もなく、早速、燃料を補給しにガソリンスタンドを目指しました。初めて自分でガソリンの注文をしました。“レギュラーを現金で満タン”この瞬間、大人になれた気がしました。
給油を終えて、少し、ずっしりとしたTZRに乗り、スタンドを背に走り出しました。
楽しかった。とにかく楽しかった。クラッチ操作が、ギアチェンジが、スロットルを回すのが、ブレーキが…。春の、少し眠たげな月の下、時間を忘れ、走り続けました。
どれくらい走り続けたでしょうか。休憩を兼ねて駐車場に入りました。一息ついて、駐車場から出ようと出口に向かった時・・・縁石の脇に砂が溜まっていました。気づくのが遅れたため、明らかなオーバースピード。すでに倒し始めてしまった車体。滑り出したフロントタイヤ。
咄嗟に、強くブレーキレバーを握りました。・・・その瞬間、転倒しました。
自転車で転倒するのとは明らかに違う、強い衝撃。右に倒れたので、右足の膝に痛みを覚えました。けれど、そんなことより、心配だったのは愛車でした。すぐに起き上がり、TZRを起こしました。重いなんて思いませんでした。一度キーを“OFF”にしてから再び“ON”にし、セルを回しました。
少し不機嫌そうにエンジンが始動しました。
ホッとしました。
再び走り出すと、エンジンは先程と変わらずに快調でした。しかし、バイクに問題がないことを確信すると、不意に足が痛くなってきました。
家に向かうことにしました。
自分の部屋に入り、ズボンを脱いで脚を見ました。血が・・・、血が出ていました。予想よりも酷い傷口に、バイクは自転車とは違うということが、身にしみて分かりました。
幾つもの季節を共に過ごし、数え切れない思い出を作ったTZR。今手元にあるのは焼き付いたピストンとプラグ、数枚の写真のみです。
桜の咲く季節に出会い、桜の咲く季節にTZRは私の手から離れました。TZRとの別れ、それは2006年4月8日の事でした。今から9年前の今日、TZRは大きく、輝いて見えました。そう、初めて会ったあの日と同じように。
2015年04月01日
送迎車No.3
こんばんは。ようこそ宮ノ森遊園へ。
今日のブログタイトルを読んでピンときた方は、送迎バスドライバーの活躍を描いた小説的な内容ではないかと期待したのではないでしょうか。
残念ながら違いました。送迎バス3号車の話です。
ちなみに…本日のブログタイトル「送迎車No.3」は松岡圭祐氏の小説「霊柩車No.4」に掛けてみました。「霊柩車No.4」は、ざっくり言うと、鋭い観察眼を持った霊柩車ドライバーの活躍を描いた小説です。興味がある方は是非ご一読ください。
さて、本題に戻りまして、送迎3号車の話です。
私がこれからお話しする送迎3号車は、2014年3月31日まで中条自動車学校に在籍していた日産の29人乗りマイクロバスで、硬めの足回りと、アクセルのレスポンスの良さが私好みなバスでした。丸みが少ない外観や、大型路線バスのスペースランナーと共通のテールランプも魅力でした。
中条自動車学校職員間では“青バス”と呼ばれていました。バスを利用した事がある方には「青白のでっかいバス」でお馴染みではないでしょうか。

1年前の思い出話ですが、お付き合いください。
春。そう、別れ・旅立ちの季節。
それは、私が送迎当番だった2014年3月30日の事。送迎3号車と仕事をするのもこの日が最後でした。やさしい雨が降る日だったのを覚えています。
別れを惜しみ、とにかく送迎3号車を多用しました。雨が降る中の送迎でしたが、撥水加工を施したサイドガラスとミラーに付着する雨は留まることが出来ず、踊るように滑っていきます。ガラスに撥水加工を施すと、雨が楽しくなります。
今思えば、送迎3号車の窓やミラーに撥水加工を施すのも、楽しみの一つでした。
思い出に浸る間もなく時は流れて、18時を迎えました。いよいよ送迎3号車と仕事をするのもこれが最後です。
18時10分。教習終了時刻を告げる放送が鳴り、玄関に教習生が集まり始めます。
乗車バス案内で「中条方面の方は青白のでっかいバスへどうぞ」と言うのもこれが最後かと思うと急に寂しさがこみ上げてきました。
白い手袋を嵌めると、送迎3号車の運転席へ乗り込みます。送り先確認を済ませ、最後の運行が始まりました。
トラブルもなく順調に運行していきます。雨に濡れた道路には街灯の灯りが鈍く反射し、走り慣れた本町の通り、駅前の通りはいつもと変わらない佇まいで送迎3号車を見送っていました。
最後の一人を降ろし、あとは自動車学校へ帰るだけとなりました。
駒込町あたりから、涙が溢れてきました。送迎3号車との思い出が涙の堰を崩壊させたようです。
街の灯りを滲ませているのは、春の雨か、それとも溢れる涙なのかは定かではありません。
頬を伝う涙を手袋のまま手の甲で拭うと同時に、フロントガラスの雨粒をワイパーが無機質に払いました。
名残雪とはいきませんでしたが、代わりに雨と私の涙を最後の運行に添える事となりました。
最後の送迎が終わり、送迎3号車に施錠した時、「ありがとう」と「さよなら」を告げました。
送迎3号車が走った距離はメーター内に記録・表示されていますが、乗せた人数はどこにも記録されません。誰を乗せ、どこへ走ったのか、それは送迎3号車のハンドルを握り、走った事のあるドライバーそれぞれの記憶の中にあります。

別れ・旅立ちの春、4月1日の雨に去年の別れを思い出した今日でした。
今日のブログタイトルを読んでピンときた方は、送迎バスドライバーの活躍を描いた小説的な内容ではないかと期待したのではないでしょうか。
残念ながら違いました。送迎バス3号車の話です。
ちなみに…本日のブログタイトル「送迎車No.3」は松岡圭祐氏の小説「霊柩車No.4」に掛けてみました。「霊柩車No.4」は、ざっくり言うと、鋭い観察眼を持った霊柩車ドライバーの活躍を描いた小説です。興味がある方は是非ご一読ください。
さて、本題に戻りまして、送迎3号車の話です。
私がこれからお話しする送迎3号車は、2014年3月31日まで中条自動車学校に在籍していた日産の29人乗りマイクロバスで、硬めの足回りと、アクセルのレスポンスの良さが私好みなバスでした。丸みが少ない外観や、大型路線バスのスペースランナーと共通のテールランプも魅力でした。
中条自動車学校職員間では“青バス”と呼ばれていました。バスを利用した事がある方には「青白のでっかいバス」でお馴染みではないでしょうか。
1年前の思い出話ですが、お付き合いください。
春。そう、別れ・旅立ちの季節。
それは、私が送迎当番だった2014年3月30日の事。送迎3号車と仕事をするのもこの日が最後でした。やさしい雨が降る日だったのを覚えています。
別れを惜しみ、とにかく送迎3号車を多用しました。雨が降る中の送迎でしたが、撥水加工を施したサイドガラスとミラーに付着する雨は留まることが出来ず、踊るように滑っていきます。ガラスに撥水加工を施すと、雨が楽しくなります。
今思えば、送迎3号車の窓やミラーに撥水加工を施すのも、楽しみの一つでした。
思い出に浸る間もなく時は流れて、18時を迎えました。いよいよ送迎3号車と仕事をするのもこれが最後です。
18時10分。教習終了時刻を告げる放送が鳴り、玄関に教習生が集まり始めます。
乗車バス案内で「中条方面の方は青白のでっかいバスへどうぞ」と言うのもこれが最後かと思うと急に寂しさがこみ上げてきました。
白い手袋を嵌めると、送迎3号車の運転席へ乗り込みます。送り先確認を済ませ、最後の運行が始まりました。
トラブルもなく順調に運行していきます。雨に濡れた道路には街灯の灯りが鈍く反射し、走り慣れた本町の通り、駅前の通りはいつもと変わらない佇まいで送迎3号車を見送っていました。
最後の一人を降ろし、あとは自動車学校へ帰るだけとなりました。
駒込町あたりから、涙が溢れてきました。送迎3号車との思い出が涙の堰を崩壊させたようです。
街の灯りを滲ませているのは、春の雨か、それとも溢れる涙なのかは定かではありません。
頬を伝う涙を手袋のまま手の甲で拭うと同時に、フロントガラスの雨粒をワイパーが無機質に払いました。
名残雪とはいきませんでしたが、代わりに雨と私の涙を最後の運行に添える事となりました。
最後の送迎が終わり、送迎3号車に施錠した時、「ありがとう」と「さよなら」を告げました。
送迎3号車が走った距離はメーター内に記録・表示されていますが、乗せた人数はどこにも記録されません。誰を乗せ、どこへ走ったのか、それは送迎3号車のハンドルを握り、走った事のあるドライバーそれぞれの記憶の中にあります。
別れ・旅立ちの春、4月1日の雨に去年の別れを思い出した今日でした。